【論証】刑法総論1構成要件⑷過失
過失犯については、「過失」を結果発生を予見できたにもかかわらず予見しなかったこととする旧過失論と予見義務違反に加えて結果回避義務違反をも過失の要件とする新過失論が対立しています。
旧過失論に立つと過失は主観的要素であり、責任要素であると理解されます。*1一方で新過失論では、過失は構成要件要素として位置づけられることになります。具体的には、過失犯の実行行為は注意義務(結果回避義務)違反の行為であるとされるのです。
判例・実務は新過失論に親和的であると考えられるので、ここでは新過失論を前提として検討します。
過失犯の実行行為
新過失論においては、基本的に予見可能性→結果回避可能性→結果回避義務違反という順序で過失犯の実行行為性が判断されることになります。
結果回避義務を履行していれば結果を防止することができたか否かは条件関係の問題であるとして、因果関係の段階で検討すべきであるとする見解もあります*2が、判断の順序としては、因果関係以前に、そもそも過失が認められるかどうかの検討が必要であり、結果回避可能性は過失の(結果回避義務違反の)前提と捉えるべきであると考えられます。*3
したがって、上記のように実行行為性を判断した後に、結果発生、因果関係、違法性、責任について順次検討していくことになります。
【論証:過失犯の実行行為】
まず、過失の実行行為をいかに解するかが問題になるが、過失犯の成立範囲が不当に広がるのを防ぐため、過失の実行行為は、結果回避義務違反の行為であると解する。もっとも、結果等を予見することができない場合には結果を回避することは不可能であるから、行為者に結果回避義務を課すことはできない。したがって、結果回避義務違反の前提として予見可能性が必要となる。また、結果回避義務を履行することが不可能な場合や結果回避義務を履行しても結果を防止できない場合にも行為者に結果回避義務を課すのは不当である。そこで、結果回避義務違反の前提として、結果回避可能性も必要であると解する。
では、甲に予見可能性が認められるか。
予見可能性は結果回避義務を導くものであるから、人を結果回避へと動機づける程度のものが必要であり、それで足りると解する。すなわち、特定の構成要件的結果発生及びそれに至る因果経過の基本的部分が具体的に予見可能であれば足りる。
~という状況では、~という因果経過によって~という結果が発生することは予見可能といえる。
したがって、予見可能性が認められる。
そして、上記の予見される結果を回避するためには、甲には~することが求められていたといえる(結果回避義務)。
では、甲に上記結果回避義務を課すことが不当でないといえるか。結果回避可能性の有無が問題となる。
行為者がその結果回避義務を履行することが可能であり、その結果回避義務を履行すれば結果発生を防ぐことができたといえる場合に結果回避可能性が認められる。
~
したがって、結果回避可能性は認められる。
よって、甲に上記の結果回避義務を課すことも不当ではない。
そして、甲は~することなく~しているから、結果回避義務に違反しているといえる。
したがって、甲には過失の実行行為が認められる。*4
信頼の原則
他人の適切な行動を信頼するのが相当な場合であって、その不適切な行動により結果が生じたときにまで行為者に注意義務を課し、過失犯が成立するとするのは不当と考えられます。
そこで、このような場合には結果回避義務の存在を否定してよいという考え方(信頼の原則)が有力であり、判例・通説もこれを採用しています。*5
【論証:信頼の原則】
被害者が適切な行動をとることを信頼するのが社会的に不相当といえない場合にまで行為者に結果回避義務を認めるのは相当でない。そこで、被害者の行動に対する行為者の信頼が存在し、かかる信頼が具体的事情のもと客観的に相当といえる場合には、結果回避義務は認められないと解する(信頼の原則)。
信頼の原則は、交通事犯のような場合だけでなく、チーム医療などの共同作業の場合にも適用されます。*6
行為者自身が規則に違反している場合にも信頼の原則の適用があるか否かについては、クリーンハンズの原則に照らして適用がないと解すべきであるとする見解もありますが、行為者が規則に違反していたとしても信頼を保護すべき場合はあり得ますので、適用を認めてよいでしょう。*7