司法試験・予備試験実践論証

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【論証】刑法総論4未遂

未遂で問題となるのは、主に実行の着手(43条本文)が認められるか、中止犯が成立するか、不能犯との区別といった点です。

 

 

 

 

実行の着手

 

実行の着手については、行為説と結果説が有力です。どちらでもよいと思いますが、他の論点との整合性から、私は結果説をとっていました。

 

【論証:実行の着手(行為説)】

 ここで、「実行」の着手とは、実行行為に着手した時点をいうと解するのが自然である。そして、実行行為とは、結果発生の現実的危険性を有する行為をいうから、実行の着手は結果発生の現実的危険性のある行為を開始した時点で認められると解する。*1

 

【論証:実行の着手(結果説)】

 ここで、未遂犯の処罰根拠は、結果発生の危険性を惹起した点にあるところ、かかる結果発生の危険性とは、行為が現にもたらした既遂結果に至る具体的危険性とみるべきである。したがって、実行の着手は既遂結果に至る具体的危険が生じた時点で認められると解する。*2

 

結果説をとったとしても、手段限定型の犯罪については、その特定の行為により結果発生の現実的危険性を生じさせたことが必要であるとするのが通説です。これは詐欺罪における最新判例でも問題となっているので、詐欺罪のところでまた検討します。*3

 

いずれの説をとっても、早すぎた構成要件の実現の場合など、危険性の判断の際に行為者の主観的事情や計画を読み込むべきかが問題となることがあります。

 

【論証:実行の着手(主観的事情)】

 ここで、行為の外形は同様であっても、故意や犯行計画などの主観的事情を考慮すれば結果発生の危険性が異なる場合があり得る。したがって、危険性の判断の際には、主観的事情をも考慮すべきである。*4

 

 

離隔犯

 

実行の着手の有無が問題となる事例として、離隔犯(毒薬入りの食品を郵送するなど、行為と結果との間に時間的・場所的間隔がある場合)の場合があります。

 

このとき、発送時、または到達時に実行の着手を認めることが考えられますが、行為説からは発送時説に、結果説からは到達時説に至りやすいといえます。

 

【論証:離隔犯(発送時説)】

 現在の郵便事情からすると、郵便物は、一旦郵送されればほぼ確実に、自動的に宛先に到達することから、郵送行為に結果発生の現実的危険性があるといえる。したがって、郵送行為を実行行為と解するべきであり、この行為の開始が実行の着手といえる。*5

 

【論証:離隔犯(到達時説)】

 離隔犯においては、郵便物が宛先に到達した時点で初めて結果発生の切迫性が生じるといえ、この時点で既遂結果に至る具体的危険が生じたといえるから、到達時に実行の着手が認められる。*6

 

離隔犯は間接正犯成をとることが多いため、そのような場合には後述の間接正犯の実行の着手時期の論証で書いても構いません。

 

間接正犯の実行の着手

【論証:間接正犯の実行の着手】 

 間接正犯においては、利用者が実行行為者である以上、実行行為は利用行為であり、利用行為の開始が実行の着手であるとする見解や、結果発生の危険性は被利用者の行為時に認められるとして、被利用者の行為の開始が実行の着手であるとする見解もある。しかし、間接正犯の態様は多様であるから、個別的に判断して、結果発生の危険性、すなわち既遂結果に至る具体的危険性危険性が発生した時点で実行の着手が認められると解するべきである。*7

 

 

中止犯

 

中止犯は、未遂犯が成立した後、刑が必要的に減免されるか否かの問題です。したがって、犯罪(未遂犯)の成否とは関係がありません。中止犯については、未遂犯の成立を認めた後、科刑の問題として記述するべきです。

 

また、中止犯は未遂犯の特別規定であるので、犯罪が既遂に達してしまった場合には適用の余地がありません(少数反対説あり)。

 

中止犯の成否の検討においては、「自己の意思により」「中止した」といえるか、という2要件が問題となります。検討順序としては、条文通りに「自己の意思により」からでも構いませんが、刑法においては客観的要件から検討するのが通常なので、ここでは「中止した」という要件から検討することにします。

 

「中止した」(中止行為)

 

【論証:中止行為】

 中止犯に必要的減免が認められる根拠は自己の意思により中止したことによる責任減少にあるから、「中止した」といえるためには、責任減少に値する行為が必要である。すなわち、結果発生に向けて因果が進行を開始していない場合には不作為で足りるが、因果が進行を開始している場合には、結果発生を防止するに足りる積極的な努力が必要であると解する。

 

実行行為が終了しているか否かで区別する見解*8もかつては有力でした。しかし、このように解すると、実行行為性に行為者の計画を読み込む通説からは、行為者が周到に計画を立てていた場合の方が中止犯が成立しやすくなるという不均衡が生じるため、現在では、上記のように因果の進行の開始の有無で区別する見解が多数説となっています。*9

 

結果発生に向けて因果が進行を開始しているか、は放置した場合に結果が発生する危険性があるか、と言い換えることもできます。

 

 

不作為による中止

 

不作為が中止行為にあたるというためには、行為の続行可能性、行為の継続性・単一性が必要です。行為の続行可能性は客観的に判断されます。*10

 

たとえば、ピストルを1発発射したが弾がそれ、結果が発生しなかった場合、2発目を発射しなかったのがピストルの故障のためであるときは2発目を発射しなかった不作為に中止行為該当性は認められません。一方、客観的には発射することはできたものの、行為者が必ず1発で標的を仕留めることにプライドを持っていたため2発目を発射しなかったような場合には、中止行為該当性が認められます。

 

 

作為による中止

 

 中止行為は必ずしも単独でなされる必要はありません。もっとも、無責任な他人任せな行為は中止行為とはいえません。判例は、単独で行わない場合には、「少なくとも犯人自身が防止にあたったのと同視できるだけの努力」が必要であるとしています。*11

 

このような努力は「真摯な努力」と表現されることが多いです。そして、この「真摯な努力」の内容としていかなる努力が必要か(最も適切な措置をとることまで必要か)が問題となります。

 

【論証:作為による中止】

 甲はAを病院に連れて行ったものの、自らの犯行による傷害であることを隠蔽して説明をしている。かかる場合には最も適切な措置を採ったものとは言い難く、「中止した」とはいえないとする見解*12もあるが、自らの犯行の自白まで要求するのは過度の倫理主義であり、妥当でない。甲は、医師の治療を受けさせるという、結果発生を防止するに足りる積極的な努力を行っているといえるのであるから、かかる場合にも「中止した」といえるというべきである。*13

 

 

中止行為の因果関係

 

行為者は中止行為に該当するような行為を行ったが、それとは関係ない原因によって結果不発生に終わったような場合にも中止犯が成立し得るか、中止行為と結果不発生との間に因果関係が存在することが必要かが問題となります。

 

【論証:中止行為の因果関係】

 中止犯の必要的減免の根拠は責任減少であるところ、中止行為があれば、結果不発生との間に因果関係がなくても責任減少は認められるから、因果関係は不要であると解する。*14

 

 

「自己の意思により」(任意性)

 

任意性の判断基準については、かつては犯人の意思以外の外部的事情により中止したか否かにより判断がされていましたが*15、何らの外部的事情によらずに中止することはほとんど考え難いため、この見解は放棄され、現在では客観説と主観説が対立しています。

 

主観説は行為者本人がどう思って中止したかを基準にする立場です。もっとも、この立場でも動機の良し悪しは問われません。

 

客観説は、一般人なら中止するかどうかを基準とします。判例は客観説に親和的であると考えられます。*16

もっとも、責任減少説からは主観説への接続がよいので、ここでは主観説を採用します。

 

【論証:中止の任意性】

 中止犯の減免根拠は責任減少にあり、責任は行為者の主観を基準に判断される。したがって、中止犯の任意性は行為者の主観を基準に判断すべきである。具体的には、行為者が「やろうと思えばやれる」と思ったのに中止した場合には任意性が認められると解する。

 

「やれる」「やれない」の意味が問題になりますが、「やれない」の意味は犯罪の完遂が物理的に不可能だ、と思った場合に限らず、心理的にできない、と思った場合も含む立場でよいと思います。*17

 

 

予備の中止 

 

【論証:予備の中止】

 中止犯の規定は未遂犯の特別規定であるから、予備罪の場合には直接適用はできない。そこで、予備罪の場合にも中止犯の規定を準用することができるか。

 ここで、予備罪には中止犯の概念を容れる余地がないとして判例は予備罪に対する中止犯の規定の準用を否定している。*18しかし、かく解しては、実行に着手し、中止犯が成立すれば免除の余地があるのに、実行の着手前の段階で中止した場合には免除の可能性がなくなるという刑の不均衡が生じてしまう。したがって、準用を認めるべきである。*19

 

殺人予備罪や放火予備罪には、任意的免除が規定されているため、この論点を展開する実益はありません。強盗予備罪など、任意的免除が規定されていない予備罪の場合のみ展開してください。

 

 

不能犯

 

不能犯とは、行為者の認識においては実行の着手があり、未遂犯が成立するようにも見えるが、結果を発生させることが不可能であるため、未遂犯の成立に必要な危険性が認められず、未遂犯が成立しない場合をいいます(実行の着手が否定されます)。

 

ここで、危険性とは行為の結果発生の現実的危険性のことです。この危険性の判断においては、いかなる事実を基礎に判断するのか、どのような基準で判断するのか、という点で具体的危険説、客観的危険説が対立しています。ここでは、修正された客観的危険説を採用したいと思います。

 

【論証:不能犯

 【論証:実行の着手】 

 そして、かかる危険性の判断においては、行為時に一般人が認識し得た事実及び行為者が特に認識していた事実を基礎として、一般人の危険感を基準に判断するとする見解(具体的危険説)もある。しかし、このように現実の事実を捨象し、危険性を抽象化して考えると、未遂犯の成立範囲が不当に拡大してしまいかねないし、行為者の認識によって危険性の有無が異なるとするのは妥当ではない。

 したがって、行為時の全事実を基礎としたうえで、結果不発生の原因を解明し、事実がいかなるものであったなら結果発生がありえたかを科学的に明らかにしたうえで、結果発生に必要な事実が存在しえたかを一般人の立場から事後的に判断すべきと解する。*20

 

たとえば、ピストルの弾がそれた事例においては、銃口がどの程度ずれていたのかを明らかにして、そのずれが生じていなかったことがあり得たかを一般人の立場から判断します。客体の不能の事例においては、客体が存在し得たかを一般人の立場から判断します。

*1:基本p.252

*2:基本p.253

*3:最判平成30年3月22日

*4:基本p.258,259

*5:基本p.255

*6:基本p.256、大判大正7年11月16日〈百選65〉、宇都宮地判昭和40年12月9日

*7:基本p.255

*8:東京高判昭和62年7月16日〈百選70〉

*9:基本p.284

*10:基本p.285

*11:大判昭和12年6月25日

*12:阪高判昭和44年10月17日

*13:基本p.287,288

*14:基本p.289

*15:大判大正2年11月18日

*16:最判昭和24年7月9日、最決昭和32年9月10日、純粋な客観説ではないと考えられるものとして福岡高判昭和61年3月6日〈百選69〉

*17:基本p.291

*18:最判昭和29年1月20日〈百選72〉

*19:基本p.280

*20:基本p.271~275